こんにちは。はいしーです。
プロフィール
はいしー。2000年生まれ。きょうだいが難病(発達障害・聴覚障害など)。
親との関係に悩み、アダルトチルドレンの面もあり。
大学生から実家を出て一人暮らし。
たくさん悩んできた自分を受け入れて、
人生を楽しむ方法を模索中!
今回は、きょうだい児(ろう/手話)として育った
私の家族のコミュニケーション方法についてご紹介します。
家族それぞれの手話歴
私の家族は、私、年上のきょうだい、父、母の4人です。
きょうだいはろう者で、手話を話します。
きょうだいは小さい頃からろう学校に通っており、
最初に通っていたろう学校はキュードスピーチが主でしたが、
幼稚部のときに転校した先のろう学校が手話を話しており、
そのときから手話を話していたようです。
なので、もう20年以上手話を話しています。
手話は、きょうだいの主言語です。
父、母もきょうだいが生まれてから手話を学び始めました。
母は手話通訳士の資格をもっているくらいなので、すらすらと手話ができますが、
やはり日本語が第一言語なので、日本語をしゃべりながら手話が出てくるイメージです。
父は勉強熱心な人ですが、仕事が忙しくなかなか時間がとれなかったようで、
きょうだいがアラサーになった今も手話は少したどたどしいです。
私はというと、
きょうだいは年上なので、私が生まれた頃から家族はすでに手話で話している状態で、
私も物心ついたころには手話を話していました。
なので、ハーフの子などのように、
外国にルーツを持ったバイリンガルのようなイメージで考えてもらうとわかりやすいと思います。
手話を勉強したことはないのですが、日常会話レベルで手話を話します。
家族それぞれとのコミュニケーション
まず1対1の場合から。これは単純です。
私と父:日本語
私と母:日本語
私ときょうだい:手話
3人で話すとき、またはその場に3人がいるとき。ここがとても難しいです。
私、母、きょうだいの3人でいることが多いので、その一例としてご紹介します。
私:手話で話したい。
母:日本語で話す。手話がなかなか出てこない。
きょうだい:手話だけ分かる。
↑で伝わるでしょうか。3人でいると、共通言語がはっきりせず、矛盾が生じてしまいます。
その結果、母の日本語を私が手話に通訳してきょうだいに伝えたり、
きょうだいの手話を見ていない母に私が日本語に通訳して伝えたり、
誰かがフォローしないと回らない場になってしまうのです。
まあ、伝わっていなくてもほうっておけばあまり困らないのですが、
私は小さい頃からこんな役回りばかりしていてたので、
どうしても気になってしまうことが多いです。
このときの私の心情をよく表してくれている文章があったので、ご紹介します。
④親や周囲の聴者と妹の会話を仲介するのは自分の役割だと思っていました
Sibkoto.聞こえないきょうだいと育つということ ~聞こえるきょうだい=SODAソーダが考える「親あるうちに」~.たたみ.https://sibkoto.org/article/40
…
⑤話が通じていなかったり、食い違っている状態に敏感です
妹がいるのに音声だけで会話をすることに罪悪感があります。なぜか親はほとんど気にせず、普通に音声で話しながら一部分だけ妹に伝えようとするので、話の背景がさっぱり伝わらないようなことも多かったです。通じてないなと思ったり、妹がチラッとこちらを見たら、すかさず仲介に入るような感じでした。
…
⑦家族だけど共通言語はあやふやで、手話には微妙なコンプレックスがあります
↑の文章は、SibkotoというHPに掲載されているたたみさんという方の文章です。
たたみさんは6歳離れた「聞こえない妹」がいます。
そうしたキコエナイきょうだいをもつ子どもたちの「あるある?」エピソードを
まとめてくださったものです。
私の家庭でも、同じような場面が多々あります。
母は私に向かって話すときは日本語のみの場合が多いです。
手話を話してくれることもありますが、不十分で、
その場にいるきょうだいはは口の動きを見ているので、
母が何かしゃべったことはわかるけど中身が分からなくて少し寂しそうな顔をする。
それを私がきょうだいに通訳する。
きょうだいの寂しそうな顔を見ていられず、とっさに通訳してしまうのですが、
こんな状態では、私は常に気を張っている状態で、休む暇もありません。
最近は諦めて放っておく、見ないようにすることも多いです。
それが正解なのかは分かりませんが。
両親は、私がきょうだいを助けたり、通訳したりすることを望んでいるわけではありません。
でも、私はきょうだいが寂しい思いをするのを放っておけない。
そのバランスをとるのはすごく難しいなぁとつくづく感じます。
自分が望んでやっているのか、周りの環境にやらされているのか、分からなくなることもあります。
きょうだいと外に出かけると、
お店の人ときょうだい、電車やバスの運転手さんときょうだい、
もっとたくさんの人の間に立つことになります。
でもそれだけきょうだいは普段から手に入れられる情報が少ないんだなぁとも感じていて、
そうさせている社会に対しても、もやもやが残ります。
聴者とろう者。ろう者と難聴者。この社会ときょうだい。両親ときょうだい。父と母。
常にいろいろなものの間に立たされて、狭間にいるような、そんな気分です。
けれど、最近ではきょうだいと我が家のコミュニケーション方法について話し合い、少しずつお互いの気持ちのバランスがとれるところを見つけられています。
今では、私は無理をしてまで通訳をすることはしません。きょうだいもいろいろなことを考えていて、強い人です。分からない時は分からないとはっきり伝えられるし、確認し直したりして大事なことは理解できています。
今の状態がゴールだとは思っていませんが、少しずつ良いコミュニケーション方法を見つけられているし、これからも見つけていけると思っています。
余談:CODA、SODAについて
最近では、『Coda コーダ あいのうた』や『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』などの影響で
CODA(Children of Deaf Adults キコエナイ親をもつ子どもたち)
という言葉がメジャーになりつつあります。
上記の映画やドラマにも同じく描かれているのが、
SODA(Sibling Of Deaf Adults/Children キコエナイきょうだいをもつ子どもたち) です。
私もSODA(ソーダ)に当てはまるので、最近ではそう名乗っていますが、
まだ認知度は低いようです。
一言でSODAといっても、
私のようにろう者で手話で話すきょうだいを持つ人もいれば、
難聴者で手話は話さないきょうだいを持つ人もいます。
興味を持ってくださった方は、ぜひ「SODAの会」を検索してみてください。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、私の家族のコミュニケーション方法についてご紹介しました。
この文章が、少しでも読んでくださった方の参考になれば幸いです。
応援しています。
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