きょうだい児(SODA)/アダルトチルドレンとして育った私のきょうだいに対する思い

こんにちは。はいしーです。

プロフィール

はいしー。2000年生まれ。きょうだいが難病(発達障害・聴覚障害など)。
親との関係に悩み、アダルトチルドレンの面もあり。
大学生から実家を出て一人暮らし。

たくさん悩んできた自分を受け入れて、
人生を楽しむ方法を模索中!

今回は、きょうだい児・アダルトチルドレンとして育った
私のきょうだいについてご紹介します。

うらやましい

私が小さいころから抱いてきた気持ちの中で、最も強いものの一つだと思います。

きょうだいは、小さいころから体が弱かったり、
うまくできないことが多かったり、
手のかかる子でした。
当然、母や父と過ごす時間もきょうだいの方が多かったです。

風邪をひいて学校を休んだり、学校まで車で送ってもらったり、
簡単なことができただけでほめられたり。
私が「抱っこして」とせがんでも、
「今は○○(きょうだい)の番だから我慢して。しかたないでしょ。」と言われたこともありました。
ひとつひとつは小さいことでしたが、
親に手をかけてもらえて、気にしてもらえているきょうだいが本当にうらやましかった。
私の方が年下なのにどうして我慢しなければいけないんだろう、とずっと思っていました。

きょうだいのようにはなりたくない

きょうだいのことを「うらやましい」と思う一方で、
絶対にきょうだいのようにはなりたくない」という思いも同時に育っていきました。

学校へ行くときはどしゃ降りの日でも歩いていきました。
きょうだいは偏食が強かったので、私は給食は残さず食べ、一度も残しませんでした。
母の作ったご飯も、きょうだいは一度もおいしいとは言わなかったので、
一生懸命私が食べて、代わりに「おいしい」と言いました。
他にも、きょうだい苦手だった勉強は一生懸命頑張りましたし、
きょうだいが途中で諦めた自転車に乗る練習を、私は父と一緒に最後まで続けました。

こんなに列挙していると少し面白くなってきますが、
当時はそれだけ必死だったのだと思います。
きょうだいと同じになりたくない。
きょうだいより頑張れば両親に振り向いてもらえる。

その思いだけで、必死に頑張っていました。

いらいらする

きょうだいは聴覚障害嚥下障害(飲み込みづらさ、鼻が詰まっていて鼻呼吸が難しい)などが
あったので、耳障りをだすことが多々ありました。

聴覚障害がある人に独特の発声、
鼻をすする音、
鼻をかむ音、
荒い呼吸音。
それが日常的にきこえていて、中学生・高校生のときは、気が狂いそうなくらい嫌でした。

その中でも、特に食事のときは毎日一騒動でした。
食器とカトラリーが当たるカチャカチャという音、
クチャクチャと咀嚼する音。
ほとんど毎日のようにむせて、口の中のものを周囲に飛び散らせていました。

実家に住んでいた時はそれが毎日のことで、
きょうだいがいると家に帰ってもずっといらいらするばかりで、全く気が休まりませんでした。

空気が読めない

きょうだいは、感情を調整することが難しく、
中学生ごろまでよくかんしゃくを起こしてわめいたり、大泣きしたりしていました。
それは嬉しいときや楽しいときも同じで、
何か嬉しいことがあると一人でしゃべって声を上げて笑ったり、
はしゃぎまわったりしていました。

それは周りの環境に関係なく行われるので、
両親が喧嘩していて、怒鳴り声がきこえているようなときにも
きょうだいは はしゃいだり、笑ったりしていました。

(聴覚障害があるので別の部屋で喧嘩をしていたら
 声がきこえず分からないこともあると思います。)

私はそれが本当に嫌でした。
普段のきょうだいの振る舞いも十分嫌でしたが、
両親の怒鳴り声がきこえて、私はこんなに不安で怖い思いをしているのに、
この人は何を考えているんだろう。

そのときはきょうだいの発達障害のことも知らなかったので、本当に理解できず、
ただただ ぶつけようのない苛立ちを抱えていて、本当に苦しかったです。

大人になった今でも、
きょうだいは空気が読めず、いらいらすることもあります。

自分が大人になるにつれてきょうだいとの精神年齢が離れて、
逆にあきれてしまうような感じのときも多いですが。
なんというか、自分の話題ばかりを話して、終わったらさっとどこかへ行ってしまうんですね。
きょうだいと接するときは保育園~小学生くらいの子と話すような感覚です。

大事な人・同志

家族のことを振り返ると、落ち込むことや泣きたくなることが
とても多くて、本当にしんどくなります。

そういうときに、元気をくれるのはきょうだいだったなと思います。
きょうだいは、楽しければこれ以上ないくらいに楽しそうにしています。
そういうところは好きだし、かわいいと思います。

それから、やはり同じ両親のもとで育ってきたということが大きいのだと思います。
私たち家族の親子関係は一見すれば良好で、
むしろ愛されていて恵まれた家庭といわれることが多いです。
でも実際はものすごく生きづらい、不安が絶えない家庭だった。
それを説明しても伝わらず、うまく分かってもらえないことが多いです。
それを、きょうだいとは共有できている。
言葉にせずとも、なんとなく伝わっている。
実際のところはどうか分かりませんが、私はきょうだいのことを同志のように思っています。

守られてほしい人

きょうだいは、学校でも、社会に出てからもたくさん傷ついてきました。
ものすごく自信がなくて、自己肯定感が低い人です。(私もですが)

小さいころに起こしていたかんしゃくも、
その裏返しだったのではないか、と今では思っています。
ものすごく不安で、自信がなくて、それをうまく言葉にできなくて、
怒る、わめく、という選択肢しかなかった。
外から襲ってくるいろいろなものから、なんとか自分を守ろうとしていたのではないかと思います。

そのきょうだいを、これ以上傷つけられないと私は思っています。
もう怒らないですむように。傷つかないように。

それから、先に生まれた、年上としてのプライドを傷つけないように。
きょうだいは私より先に生まれていたので、
小さいころは私のことをとてもかわいがってくれていました。
手をつないで保育園に連れて行ってくれたり、
一緒に遊んでくれたり、頭をなでてくれたり。
そんな写真がいっぱい残っています。
いまでも、年上として私のことをかわいがろうとしてくれていると感じます。
だから、そんな
きょうだいのことを大事にしたい

そして、私たち家族もきょうだいを傷つけてきてしまったと思います。
私と母、父が声だけで話しているとき、きょうだいはどんな気分だっただろう、
と最近になって思うようになりました。
自分にはきこえない家族の会話を、どんなふうに感じてきたんだろう。
どんなにつらかったか。想像すると、本当に胸が苦しくなります。

もうこれ以上傷つけることはできない。できる限り守りたい。
心からそう思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は、私のきょうだいについてご紹介しました。

この記録が少しでも参考になれば幸いです。
この記事を読んでくださった方のことを応援しています。

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