はいしー母について:母に対する思い

こんにちは。はいしーです。

プロフィール

はいしー。2000年生まれの24才。きょうだいが難病(発達障害・聴覚障害など)。
親との関係に悩み、アダルトチルドレンの面もあり。
大学生から実家を出て一人暮らし。

たくさん悩んできた自分を受け入れて、
人生を楽しむ方法を模索中!

今回は、きょうだい児・アダルトチルドレンとして育った
私の母についてご紹介します。

私を一生懸命愛してくれた人

母は、私を溺愛してくれていました。
笑顔がかわいいくて、少し天然で、大好きな人です。

父からの愛に飢えていた分、母からの愛情に本当に救われてきたように思います。

社会的な差別を一番受けてきた人。

母は、障害のあるきょうだいと一緒に病院や学校に通っていました。
父は仕事があったので、障害のあるきょうだいと一番長く過ごしてきたのは母だったと思います。
母はたくさんの差別や偏見と闘ってきた人でした。

ろう学校での口話訓練。
子どもが話せないのは親の責任。そう先生に言われたそうです。
他にも、ろう学校では絵日記、キュードスピーチ、手話、たくさんの準備や教育が必要でした。
全部母が必死になって教えていたんだと思います。
他にも、ろう学校で聴覚障害に理解のない先生に心ない言葉で傷つけられたこともあったそうです

きょうだいの就職活動でも、母は手話通訳士兼保護者としてついていっていました。
「見学に来てもらうのは全然いいですけど、雇うことはできません。できる仕事がないので。」
「雇ってもいいですが、サポートも支援もしませんよ。」
会社の人からもそんな心ない言葉を言われたそうです。

私がこんな話をきいたのは、大学生になってからでした。
私にとってもとても衝撃的だった。
辛そうに話す母の顔を見ているのが、私も辛かったです。

でも、今思うのは、これは私がきかなくても良かったのではないかということです。
親が子どもにきかせる話ではないし、私もきく必要はなかった。
もっと早く、行政や教育の支援が入っていたら。
母の話をきいてくれるカウンセリングがあったら。
私たち家族の苦しさは変わっていたかもしれません。

ケアが必要な人・私に依存している人

上記に述べたように、母はケアや支援を必要としている人だと思います。

私自身、母の苦しそうな顔は何度も見てきました。
今でも、悔しそうに、苦しそうに話すことが多々あります。

以前は、それらを私に向かって話すことが多々ありました。
また私に会って話すこと、一緒に過ごすことだけをとても楽しみにしていました。
私になら何でも話せると思っていたのかもしれません。
母は、父とは仲が良くなかったですし、友達も少なく、
障害のあるきょうだいとだけ過ごす日常で、話し相手がほしかったのかもしれません。
その時は気づきませんでしたが、母は私に強く依存していたのだと思います。

最近は私が何か趣味を増やしたり、友達と遊びに行ったりするよう促して、
少しずつ依存も減ってきましたが、母との距離感は難しいなとずっと感じています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は、私の母についてご紹介しました。

途中、私の願望や過去の気持ちも
一緒に書かれていたように思いますが、
それも含めてこの記録が少しでも参考になれば幸いです。
この記事を読んでくださった方のことを応援しています。

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