はいしーの父について:父に対する思い

こんにちは。はいしーです。

プロフィール

はいしー。2000年生まれの24才。きょうだいが難病(発達障害・聴覚障害など)。
親との関係に悩み、アダルトチルドレンの面もあり。
大学生から実家を出て一人暮らし。

たくさん悩んできた自分を受け入れて、
人生を楽しむ方法を模索中!

今回は、きょうだい児・アダルトチルドレンとして育った私の
父についてご紹介します。

怖い人

父は、ずっと怖い人でした。
大人になった今も、変わらず怖いです。
父の意にそぐわないことをすると笑われたり、バカにされたり。
意識してそういうことをしているわけではないのだろうけど、やっぱり怖い。
今でも父の意にそぐわないこと、父のやり方とは違うことをしてしまうことがすごく怖い。

母に対しては、特に厳しい口調のときが多かった。
そんな2人の言い合いをきいているのが怖かった。

でも、私はずっと父が怖いということを認められませんでした。
父のことが大好きだったから。
父のことを怖いと言って、父に嫌われるのが怖かったから。

そんな自分の気持ちにようやく気付けたのは、
実家を出てずいぶん経った後、大学を卒業するころでした。

余裕のない人

父はずっと仕事に精一杯でした。
人間関係など、ストレスに感じるものが人より多くて、
ストレスに感じる度合いも人より大きい人でした。

小さい頃は一緒にご飯を食べていたと思いますが、
小学生くらいからはほとんどご飯を一緒に食べたことがありません。
父はいつも2階の自分の部屋にいて、用事があるときだけ1階の私たちの部屋に下りてくる。
下りてきても、イライラしていたり、怖い顔をしていたり。
そういう生活でした。
小学生の頃、こういうのを家庭内別居というんだろうなと思ったのをよく覚えています。

大学生になると実家を出て、
1週間にも満たない短い帰省の時間が唯一父と話せる機会だったのですが、
父の余裕がないと一言も話さないときもありました。
大学生になっても父との関係は変わらなかった。

私はずっと寂しかった。
本当はもっとかまってほしかったし、一緒に過ごしたかった。

この気持ちも、実家を出て年数がたって、ようやく気付けた気持ちです。

優しい人

それでも、父は私には基本的に優しかったです。
余裕があるときは私によく話しかけてくれました。

父は手話で話すのが得意じゃないから、
聴覚障害のあるきょうだいよりも、声で話せる私の方が楽だったのかも。
でも、それでも嬉しかった。

よく気づく人

父は、よく気付く人でした。
障害のあるきょうだいが中学・高校で苦しんでいる姿をよく見ていて、
「あのときは辛そうだった」と言っていました。

私のきょうだい児としての思いも、もしかしたら気づいてくれているのかも。
そんな淡い期待をもっていますが、本当のところはわかりません。

私が帰省すると、
「○○(きょうだい)と一緒にいてくれてありがとう。
 帰ってきてくれると、みんな楽しそうにしてるよ。」
という言葉をかけてくれます。でもその言葉が辛いときもある。
私も、あなたに甘えたい。

障害支援を一番考えてきた人

父は、きょうだいの障害に対する支援を一番早くから考えていました。
母にもそれを伝えようとしましたが、上手く伝えられず言い合いになることが多かったようです。

そもそも、父と母は障害の受容度が異なっています。
母は障害をとても重く受け止めている。
一方で、父は他に寝たきりの子どもたちもいる中で、
きょうだいは元気に育ってきた、と思っているそうです。
(そう思おうとしている、そう思うことにしている、だけかもしれません。)

でも、私からすれば父はとても過保護だと思います。
私たちはもっとたくさんのことができるのに、父が先回りしてすべてのことをしてしまう。
父(母)の不安、心配、過保護によって、
私たちきょうだいはできることを奪われてきたと感じています。

私たちには父が考える「正しさ」しか許されていない。
必死に自分なりに考えて、行動して、導き出した結果でも拒否される。
父はきょうだいだけでなく、私に対しても同じような行動をとっていました。
私はだんだん、親に全く信頼されていない、と感じるようになりました

そういう行動を親に繰り返されると、子供は親の指示・許可がないと動けなくなってしまう。
自分が何をやりたいかなんてわからなくなってしまう。
親子の関係においては、「見守る」ということが一番難しく、一番大切なことなのだと思います。

嘘がつけない人

父は本当に嘘がつけない人。
自分がいいと思ったものしかほめないし、
悪いと思ったものはひどい言葉でけなす。


小さい頃から、父の思ったレベルに達していないと褒めてもらえなかったし、
父の興味のあるものでなければ話をきいてもらえなかった。

よく覚えているのは、一生懸命ピアノの練習をして、やっと弾けるようになったとき。
「あぁ、その歌か。上手になったね。途中まで何弾いてるんだか全然わかんなかったけど。」
そう、馬鹿にしたように笑いながら言いました。

この言葉だけだと上手く伝わらないかもしれないのですが、
父は普段から、ほめているんだか、けなしているんだか
よく分からない話し方をする人でした。


もっと私の好きなものに興味をもって話をきいてほしかった。
他の人と比較せず、私ができるようになったことを褒めてほしかった。
私のことを見てほしかった。

本当にそう思います。

子どもっぽい人

父は、悪気無く人をからかったり、馬鹿にしたりする人でした。
父が思いっきり笑うのはそういう瞬間ばかりでした。
だから、私が思い出す父の笑顔はすごく意地悪な顔です。

父には、もっと笑顔を見せてほしかった。
たくさんの楽しいこと・嬉しいことを探して、純粋な笑顔を見せてほしかった。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は、私の父についてご紹介しました。

途中、私の願望や過去の気持ちも
一緒に書かれていたように思いますが、
それも含めてこの記録が少しでも参考になれば幸いです。
この記事を読んでくださった方のことを応援しています。

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