きょうだい児(SODA)/アダルトチルドレンとして育った私の自分史:中学校~高校

こんにちは。はいしーです。

プロフィール

はいしー。2000年生まれの24才。きょうだいが難病(発達障害・聴覚障害など)。
親との関係に悩み、アダルトチルドレンの面もあり。
大学生から実家を出て一人暮らし。

たくさん悩んできた自分を受け入れて、
人生を楽しむ方法を模索中!

今回は、きょうだい児・アダルトチルドレンとして育った私の、
中学校~高校までの記憶をご紹介します。

きょうだいに対する嫌悪感

中学~高校生の頃は、きょうだいに対する嫌悪感がどんどん強くなっていました。

一番嫌だったのは、食事の時
くちゃくちゃという咀嚼音や、カチャカチャと食器同士がぶつかる音が毎日のことでした。
また思いっきりむせて口の中のものがとぶこともあり、
それらが本当に嫌でした。

今から考えるときょうだいは慢性的に鼻が詰まっていたり、
嚥下がうまくいかなかったりするので、苦労していたのだと思います。
それに加えて聴覚障害があるので、
自分がどんな音を立てているのか分からないということもあったと思います。

でも、そのときの私は部活や勉強で毎日くたくたでそんなことを考える余裕もないし、
毎日ほんとうにいらいらして、辛かったです。

他にも、食事中の息遣い、笑い声、しゃべり声、すべてが嫌だった。
きょうだいは偏食もあるので、
いつも決まったものを食べていました。
私はそれらの食べ物がトラウマで、今でも見るのも苦手です。

気持ちを母にぶつけるように。

きょうだいに対する不満やいらいらが募っていき、
どうして自分ばかりが我慢をしなければいけないのだろうという思いが強くなっていました。

きょうだいに直接それをぶつけても、理解できない。
母に伝えようとも考えましたが、
私は母がきょうだいの病院や学校で、
障害のことでたくさんの人に傷つけられてきたのを知っています。
これを母に伝えたら、傷ついて、もう立ち直れなくなってしまいそうで伝えられなかった。
自分の気持ちをどう説明したらいいか分からないし、
「気持ちを伝えること」に、メリットを感じられませんでした

それでも、一度勇気をふりしぼって母に伝えたことがありました。
でも、母に言われたのは、「他人を変えるより自分が変わった方がずっと楽なんだよ。」
気持ちをぶつけても、何も変わりませんでした
むしろ、私が責められたような気がしました。
やっぱり親は子がかわいいもの。
私が何を言っても、きょうだいのことをかばっていました。
母がきょうだいを注意してくれるわけでもない。
どうしようもない要求を伝えても状況は変わらない。

気持ちのいきどころがなくなっていました。
私も、できるならそんな気持ちを持たないようにしたかった。
きょうだいのことを前向きに捉えようとしたり、
きょうだいのことであれこれ考えるのをやめようとしました。

けれど、家に帰るときょうだいがいて、
いつまでたってもきょうだいの行動にイライラしている自分がいる。
だんだん、きょうだいにしばられているような気がして、
自分まで大嫌いなきょうだいにそっくりな気がして、ますます辛くなるばかりでした。

自分の性格が本当に嫌いだった。でも、誰かに認めてほしかった。

↑のようなことの繰り返しで、私はどんどん自分のことが嫌いになっていきました。

このときの私の気持ちをよく表してくれているのが、↓の文章です。

小学生のころから、自分を認めてもらおうと、目立ちたがり屋になったり、勉強に打ち込んだり、存在意義を見出そうと必死だった。「障がいのある人は生きているだけで存在意義がある。でも私は生きているだけでは誰も認めてくれない」と思っていた。承認欲求が強かった。他人に認められる技術や能力が欲しかった。とにかく、「すごい」と言われたかった。褒められたかった。しかし、現実は甘くなかった。私は不器用の塊で、努力型の人間だ。努力はするけれど、そう簡単に褒められたり、認められることはなかった。他人が褒められるところを見るだけだった。他人が褒められたり、少しつまずいただけで「自分はダメだ」と落ち込んでいた。頑張る原動力になるものもなく、心が折れやすかった

第54回NHK障害福祉賞 佳作 ~第2部門~ 「「うるさい」と言った日」

この文章は、自閉スペクトラム症のきょうだいを持つ方が書いたもの。
私はこれにとても共感しました。

私も目立ちたがり屋で、承認欲求が強かった。褒めてほしかった。
友達を独占したい 私だけの友達でいてほしい 
私だけを見てほしい。
私もそういう気持ちがとても強かった。

そう強く思う一方で、そういう自分の性格が嫌で、悪循環がとまらず、とても辛った。

大学進学のとき、県外に進学することを決めた。
そのとき、親に必死の思いで投げた言葉は、
「もう○○(きょうだい)と一緒にいたくないの!!」

きょうだいと離れたかった。もう限界だった。
あのとき逃げなかったら、破綻していたと思う。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
きょうだい児・アダルトチルドレンとして育った私の、
中学~高校までの記憶をご紹介しました。

この記事が少しでも読んでくださった方の役に立てばとても嬉しいです。
この記事を読んでくださった方のことを応援しています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました